DT&COMPANYを始めたころ
2009-12-13


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はや10年以上も前、何の経験も、つてもなく、ただ好きなことをやりたい、という情熱だけで始めたのが、DT&COMPANYです。

最初、とりあえず自分が好きなコンテンポラリーアートクラフト(アート系のジュエリー、ガラス器)やアート系雑貨を外国から仕入れてきて、国内の数少ない工芸ギャラリー、アート系雑貨店などへ営業をかけたのですが、これがまったく反応ありません。

いちお商品はあるのに、売る場所が全くない、という状況の中、なんとか商品を見てもらいたいという一心でやっていたのが、当時、ちょっとした風物詩にもなっていた、表参道での露天売りでした。
表参道以外にも、訳あって、成田山の参道で露天をしたり(参道に縁があるようです)、デザインフェスタに出展してみたり、三越デパートの1階で若い服飾デザイナーたちにまぎれて、イベントに参加させてもらったり、今振り返ると、我ながらがんばってたなあ、と思います。

あの頃の表参道は、今とはだいぶ雰囲気が違っていて、道でモノを売る露天の人たちが結構いたんです。外国人も多く、ワイヤーを使って自分でアクセサリーを作って売るアメリカ人のおじさんや、自国から亡命?してアジア雑貨を売るミャンマーの女性など、様々なバックグラウンドの人たちが集まってきていました。
露天商同士で暗黙のルールのようなものもあって、大ぶりな什器を使ってスニーカーを販売しようとした若者をめぐって、言い争いになったりして、ちょっとした露天商コミュニティー?が存在してました。

勝手に公道でモノを売るという行為は、当然違法で、私も数回、警察官に「退去命令」を出されました。が、当時、露天商仲間で言われていたのが、青山通り近くの表参道は、渋谷署と原宿署の管轄の、ちょうど境目なので、お互いがけん制しあって取締りがゆるい、なんて嘘かホントかわからない話を皆勝手に信じて、やってました。

商売の方は、というと、全然売れなかったですね〜。
雨の日はもちろん、天気が良くても風が強いと、アクサせりーなんて「ピュー」って飛んでいってしまうので、店じまいです。
1日の売上目標を1万円にしていて、目標を達成できたら、帰りに表参道のコロンバン(まだあるのかな?)で大好きなチョコレートケーキ(当時はまだ、コロンバンも色んなケーキを販売してました)を食べよう、と決めていたのですが、一度もケーキにありつけませんでした・・・。

結局半年くらいでやめてしまいましたが、今思うと、あの経験、行動があって今があるんだなぁ、と強く感じます。私をメガネ業界に導いてくれたグレート・マン、リュネットジュラ高橋さんとの出会いもあったし。高橋さんとの出会いの話は、またあらためてブログネタにしようと思います。

追伸  そういえば先日、表参道のハナエモリビルが新しいビルに建て替えられる、なんて記事を読みました。実は露天商時代、ハナエモリビルには、いつも地下1階骨董街フロアのトイレをお借りさせていただいて大変お世話になっていました。この場を借りて白状し、厚く御礼申し上げます。想い出のビルがなくなってしまうのも、淋しいです・・・。
[会社、商品のこと]

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